〈説得力〉トレーニング  ジェフ・バーチ(著) 片山奈緒美(訳)

私の考えを完璧に説明するあるエピソードを紹介しよう。以前、私が住んでいた近所に、店主の男性がひとりでやっている小さな肉やがあった。こんな小さな店だったら、おそらく1ヵ月あたりの売上は最高でもせいぜい5,000ポンド(約100万)くらい、利益はその3分の1程度だろうと私は思っていた。ある日の夕暮どき、私は店主が作業用のつなぎ服を脱ぎ、店のシャッターをおろすのを見た。その直後、貧しい肉屋という私の第一印象はすっかり打ち砕かれた。彼はなんと新車のジャガーを走らせて帰っていったのである。

私は彼の仕事を観察することにした。ここで一般的な肉屋の店員を思い浮かべてほしい。

もし客が来て、ベーコンを400グラム欲しいといったら。たぶん店員はにっこりとしてベーコンを渡し、

代金を受け取るだろう。そのときに売ったものは何だろう?

 悲しいかな、何も売っていないのである。もちろん、その店員は客の買いたいものの邪魔を

したわけではない。だが、同時に、まったく自分からセールスをしていないのである。

 さて、私が出会った肉屋の場合はどうだろう。客がやってくると、その肉屋は人のよさそうな

血色いい顔で肉のショーケース越しに、愛想よく微笑み、気さくに声をかける。

「奥さん、おはよう。今日は何にする?」

「ベーコンを400gいただくわ」

「(ベーコンを包みながら)明日の朝ご飯用?」

「ええ」

「それならね、たった今、スパイスが効いた、いいソーセージが入ったところなんだよ。

朝ご飯にぴったりだよ。わたしも今朝食べたんだけど、いやあうまかった。買っていかない?」

「じゃあ、それもいただくわ」

「そういえば(といって手際よくソーセージを包みながら)、放し飼いの鶏の肉も入ってるよ。

週末のディナーにいかがです?」

肉屋にきたとき、この奥さんはソーセージや鶏肉を欲しがっていただろうか?

かといって、店を出るとき、嫌な思いをしていたり、無理強いされたと感じていたりするだろうか?

あなたは、この肉屋の売り方を「押し売り」と呼ぶだろうか?

 この肉屋は、彼女が買い物を終えたときに欲しいものを変えたと思わせるようなすばらしい

説得術を駆使していたのだ。彼の店の客は、店主が好きで、おそらく彼も客たちが好きだろう。

それでいて、彼は自分の店の商品を売る努力をして、売上を倍以上に増やす。

私たちも彼のように出来たらどんないいいだろう。